ドローンの歴史(1950年)

日本では1950年代から空物のラジコンがブームとなりました。

当時はプロポを使った無線操縦ではなく、Uコンとよばれる二本のピアノ線を操縦者が引っ張り、操縦者は飛行機とともに円を描くように回転しながらエレベーターの操作だけをピアノ線を引っ張って行う原始的なものでした。

 

当時も無線を使ったプロポシステムは存在しましたが、操作できるチャンネル数が少なく、日本で使用が許可されている電波の周波数は27.12MHzだけであったため、まだまだ主流ではありませんでした。

当時、高度経済成長の中で、有限で貴重な資源である周波数をラジコンに割り当てるのには厳しい状況でした。

 

その後、27MHz帯で6波、40MHz帯で2波の電波の使用が許可されることになります。

そして、1984年に40MHz帯が13波認可されました。

 

当時は同じ周波数の人と同時に飛行させると電波が混信し、墜落することがあり、電波に非常に気を遣っていた時代でした。

 

参考:ちゃんと上手くなりたい人のためのドローンの教科書

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