1 背景とプロジェクトの目的
日本は、洪水や台風などの自然災害が頻発する地域であり、特に都市部では大規模な水害が人命やインフラに甚大な影響を与えるリスクがあります。これまで、水害リスクを住民に周知させるためにハザードマップや防災訓練が行われてきましたが、専門的な情報は一般市民にとって理解しづらく、迅速な避難行動に結びつけるのが難しいという課題がありました。
このプロジェクトの目的は、WebGIS技術と3D都市モデルを活用して、洪水リスクをわかりやすく視覚化し、住民が直感的に理解できる避難支援システムを提供することです。具体的には、洪水の浸水範囲や避難ルートを3Dで表示し、さらに拡張現実(AR)技術を用いて、スマートフォンなどでリアルタイムに避難ルートを確認できるアプリケーションの開発が行われました。
2 技術概要
このプロジェクトで採用された技術は以下の通りです。
ArcGIS
ArcGISは、Esri社が開発したGIS(地理情報システム)プラットフォームで、地理空間データの収集、解析、視覚化を行うことができます。ArcGIS 3D Analystは特に3Dデータの解析や視覚化に強みを持ち、都市計画、防災、環境解析などさまざまな分野で利用されています。このプロジェクトでは、ArcGISを用いて3D都市モデルの解析や洪水リスクの可視化を行いました。
FME Desktop
FMEは、Safe Software社が提供するデータ変換ツールで、GISデータやCADデータ、データベース情報などを統合・変換することができます。450以上のデータ形式に対応しており、GISユーザーが扱う多種多様なデータを簡単に変換できます。FMEは、このプロジェクトにおいて、各種データ(浸水深データ、道路ネットワークデータ、3D都市モデルなど)のフォーマット変換を自動化するために用いられました。
pgRouting
pgRoutingは、PostGIS(PostgreSQLのGIS拡張機能)と組み合わせて、地理空間データベースを拡張し、ルーティング機能を提供するオープンソースライブラリです。これにより、避難ルートの最適化や道路ネットワークの解析が可能になります。プロジェクトでは、浸水による道路の閉塞を考慮しながら、最適な避難ルートを検索するためにpgRoutingが使用されました。
PostGIS
PostGISは、PostgreSQLデータベースで地理空間情報を扱えるようにする拡張機能です。この技術により、GISデータをデータベースに格納し、空間クエリを通じて迅速に解析や検索が可能になります。本プロジェクトでは、洪水のリスクデータや避難ルートデータの保存・管理にPostGISが利用されました。
3 実証システムのフロー
本プロジェクトで開発されたシステムは、以下の4つの大きな機能を備えています。
1 避難ルート検索・AR表示システム
このシステムは、3D都市モデルを活用し、洪水の浸水範囲に応じた避難ルートを検索します。住民がスマートフォンを使って浸水リスクを確認し、安全な避難ルートを直感的に把握できるよう、拡張現実(AR)技術を利用しています。浸水範囲や避難ルートの変化はリアルタイムで表示され、洪水の進行に伴って安全なルートがどんどん閉ざされる様子も視覚化されます。
2 河川整備効果の可視化システム
河川整備によって水害リスクがどの程度軽減されるかを視覚的に示すシステムです。これにより、河川改修工事が完了した後に、どれだけのリスクが減少するかを、具体的な数値やグラフィックスで住民に伝えることができます。例えば、改修後のシミュレーション結果を基に、どのエリアが浸水しなくなったかを3Dモデルで示します。
3 降雨波形画像とタイムライン表示機能
この機能では、降雨データと洪水の進行を同時に表示します。降雨波形画像と時間軸を連動させることで、いつどこで浸水が始まり、どのルートが安全なのかを可視化し、避難のタイミングを判断できるように支援します。
4 ARを利用した洪水リスク表示
拡張現実(AR)技術を使って、スマートフォンやタブレットを通じてリアルタイムで浸水深や避難ルートを確認できる機能です。住民が現実空間とデジタル情報を重ね合わせることで、実際の環境におけるリスクを直感的に理解でき、迅速な避難行動に繋げることが期待されています。
4 実証地域と結果
このプロジェクトは、東京都板橋区、埼玉県蓮田市、千葉県茂原市の3地域で実証されました。それぞれの地域は、異なる地形的・人口的条件を持つため、システムの汎用性や有効性を検証するための理想的な場所でした。
板橋区では、舟渡・新河岸・高島平地域(3.08㎢)を対象に、避難ルート検索システムとAR機能の実証が行われました。ここでは、複雑な都市構造が存在するため、3D都市モデルによる視覚化が特に効果を発揮し、避難ルートの表示や住民の理解を大幅に向上させました。
蓮田市では、河川沿いの浸水シミュレーションを行い、住民がどのように早期に避難行動をとれるかを検証しました。特に、高齢者や避難行動要支援者を対象に、事前に避難を促すシステムが有効であることが確認されました。
茂原市では、河川整備の効果を住民に伝えるためのシミュレーションが実施され、住民への理解促進に大きな効果が見られました。河川整備が完了する前後でどの程度リスクが軽減されたかを視覚的に示すことで、住民の防災意識を向上させることができました。
5 技術の成果と課題
このプロジェクトを通じて、3D都市モデルとWebGISを組み合わせた避難支援システムの有用性が実証されました。特に、視覚的な表現によって洪水リスクが直感的に理解できる点が、住民に大きな安心感を与えました。また、河川整備の進捗や効果が明確に示されることで、行政とのコミュニケーションも円滑になり、住民の防災意識が高まるという成果も得られました。
一方で、今後の課題も浮き彫りになりました。まず、データ処理の効率化が必要です。多様なデータを取り扱う際、FMEやPostGISを活用してデータの統合と変換を自動化することが鍵となります。また、AR技術の普及には、ユーザーのデバイス環境やインターネット接続の品質が重要な要素となります。これらの技術的な課題を解決するためには、さらなる技術革新と運用支援が必要です。
6 まとめ
このプロジェクトは、このプロジェクトは、3D都市モデルとWebGIS技術を活用した水害対策アプリケーションの開発と実証を行ったもので、GISユーザーにとっても非常に有用な事例です。特に、洪水リスクの直感的な理解と避難行動の促進にフォーカスし、以下のような効果を確認しました。
- 3D都市モデルを使用した詳細な浸水シミュレーションによる、浸水リスクの可視化。
- FMEを使用した多種多様なデータ形式の統合と変換。
- PostGISやpgRoutingを利用した避難ルートの最適化。
- AR技術による現実環境での浸水リスクや避難ルートのリアルタイム表示。
これにより、住民の防災意識が高まり、早期避難の促進にも繋がった一方、データ処理の効率化や技術普及の課題も残されており、今後の改善点が明らかになりました。今後の取り組みでは、さらに多くの地域にこの技術を展開し、住民と行政の連携を強化することで、災害リスクを最小化することが期待されます。
GISユーザーにとっても、FMEやPostGISの活用事例として参考になる部分が多く、これらのツールを実際の防災プロジェクトでどのように活用できるかのヒントとなるでしょう。
出典
https://www.mlit.go.jp/plateau/use-case/uc22-034/